業界:金融・保険・証券
代表取締役
堀江 智生
取り組む社会課題
「資産運用という良識を、日本の常識にする。」
私たちは、日本のすべての人が「資産運用」という選択肢と正しく向き合えるように支援します。
そして、この先行きが見えない不確実な世の中でも、誰もがより自分らしく、豊かな人生をあたりまえに実現できる社会をこの国につくっていきます。
事業内容 IFA(独立系ファイナンスアドバイザー)
特定の金融機関に属さず総合金融サービスを提供する資産コンサルティング会社として証券・保険・不動産等の⾦融商品を、お客様のニーズに合わせてご提案をしています。
NECグループとしてテクノロジーを掛け合わせた新たな取り組みにも挑戦中です。

金融教育事業の推進やProfolio開発、アスリートや大企業社員の資産形成サポートサービスのローンチなど今までの金融機関が挑戦できなかったことを形にしてきました。
社長になる
きっかけ
社会人のスタートは野村證券の難波支店。入社前に「大阪だけは嫌だ」と言っていたのに、初任地が難波と聞いたときは正直落ち込みました。ですが実際に… 続きを見る
出身地 東京都品川区
出身校 慶応義塾高等学校 / 慶応義塾大学
趣味特技 サウナ, 読書, 筋トレ・ジム通い
生年月日 06/07
堀江 智生イメージ
「努力を続ける人に、未来は味方する。本気で働くことが、一番おもしろい。」
目次

「逆境が、自分を強くした。400年続く家業の教えと反骨心が今の原動力」

どんな幼少期・学生時代を過ごしたか教えてください
── 出身地はどちらですか?出身地に関するエピソードがあれば教えてください。また、ご家族はどんな方々でしたか?
生まれも育ちも品川の青物横丁という下町です。実家だけでなく、母方も上野で350年続く商家でして。年に一度、100人以上が集まる親戚会でも、見渡す限り全員が商売人。サラリーマンは一人もいないような家庭でした。ですから物心ついた頃から、『自分もいつか商売をするんだろうな』と、ごく自然に考えていましたね。ただ、父とはあまり仲が良くなかったんです。さらにバブル崩壊の煽りを受けて数十億という莫大な借金を抱え、家庭環境は非常に厳しいものでした。『親父のようにはなりたくない』と、その反骨心が当時の私を全く違う方向へ突き動かしたんです。この時の経験が、間違いなく今の私の“努力の原点”になっていますね。

学生時代について詳しくお聞かせください
── 学生時代はどのように過ごしていましたか?学生時代の想い出を教えてください
高校から慶應義塾に進学し、そこで出会ったアイスホッケーに没頭しました。高校~大学の7年間、朝と夜の練習に明け暮れ、 昼は筋トレか塾講師のアルバイト。特に塾講師では、「人生とは」や「恋愛論」などを語る時間が多く、生徒との交流が楽しくて仕方ありませんでした。また、部活のシーズンオフには友人とヒッチハイクやわらしべ長者の旅に挑戦し、常に「おもしろいことをやる」がモットーでした。就活では経営者になるという軸でOB訪問を中心に活動し、野村證券が最も印象が強く「ここで力をつけよう」と決意し入社しました。今振り返ると、この軸が常にブレなかった事が、道を切り開く力になったと感じますね。

社長になるまでのきっかけやキャリアについて伺います
── 初めて就職したきっかけや、その職場での経験を教えてください
社会人のスタートは野村證券の難波支店。入社前に「大阪だけは嫌だ」と言っていたのに、初任地が難波と聞いたときは正直落ち込みました。ですが実際に働くと、大阪の人の温かさと情に触れ、すぐにこの街が好きになりました。毎日150件以上の飛び込み営業を繰り返し、経営者の方々と直接話せることが何より刺激的でした。営業成績を競い合う厳しい環境の中で、次第にマネジメントも任されるようになり、20代後半には120人規模のチームをまとめる立場に抜擢。年上の部下も多く、どう動かすかに頭を使う日々でした。数字と人の管理を両立させる難しさを経験できたこの8年間が、今の経営の基盤になっています。

「日本をもう一度豊かに。資産運用で未来を変える挑戦」

企業名に込めた想い・由来を教えてください
「日本を資産運用で豊かにする」というテーマを込めています。
また、言いやすく、略しやすい名前(JAM)にしたのもポイント。長く続く会社にしたいからこそ、日常的に呼びやすい響きを意識しました。

事業を始めるきっかけについて教えてください
── この事業を手がけることになったきっかけや経緯はどのようなものですか?初めてこの事業に関わることになった時の心境を教えてください。また、この事業を通じて、最初に「実現したい」と思ったことは何ですか?創業当時、特に大切にしていた考えや信念を教えてください。
野村証券時代の最後に香港勤務を経験した際、海外から日本を見たときに強い危機感を持ちました。資源がなく人口が減少していく国で、唯一豊富にあるのは「お金」だけ。日本が再び成長するには、そのお金をどう活かすかが鍵だと気づきました。既存の証券会社は会社や自分のために働く人が多く、顧客本位ではない。だからこそお客様のために働く会社を自分で作ろうと決意しました。IFA(独立系金融アドバイザー)という仕組みを選び、立ち上げ当初から「お客様の利益を最優先にする」を信念に掲げました。その理念に共感する仲間が集まり、少しずつ組織が形成されていきました。原点は今も変わらず「お客様のため」です。

事業に込めた想いについて教えてください
── この事業を通じて、どのような想いを世の中に届けたいと考えていますか?
私たちは「資産運用という良識を日本の常識にする」というビジョンを掲げています。昔から日本人は勤勉で貯蓄は得意ですが、運用は苦手。日本には約2000兆円の個人の金融資産があり、その半分が現金として眠ったままになっています。もしその現金を年3%で運用すれば、年間30兆円が経済に還流し、日本のGDPは5%ずつ成長する計算ができます。つまり、資産運用の普及は日本経済を活性化させる最も現実的な手段なのです。だからこそ私たちが正しい知識を伝え、誰もが安心して一歩を踏み出せる存在になり、個人の豊かさを社会全体の成長につなげていくことが使命と考えています。

「仕事=趣味でいい。全力で働くことが、人生を面白くする」

趣味・特技について伺います
── 趣味や特技に関してのエピソードがあれば教えてください。また、趣味や特技が仕事に活かされているなと感じたことはありますか?
特技はベンチプレス、趣味はキックボクシングです。面接では体育会出身者とベンチプレスの話で盛り上がることも多く、「社長、そんなに上がるんですか?」と驚かれます。社員ともキックボクシングをすることがあり、スパーリングでは「社長を殴れる貴重な機会」と冗談交じりに言われますが、私はそれをフェアな関係性だと思っています。上司や部下といった立場を超えて真正面から向き合える関係が理想です。野村時代は上司に不満を持っても直接ぶつける機会はありませんでしたが、今はお互いに本音を出し合い、共に汗を流す中で信頼関係が生まれる。そういう文化こそ、強い組織の礎だと思っています。

経営者としての「自分らしさ」についてお聞かせください
── ご自身の強みや個性について、どのように捉えていますか?また、その強みを活かして、どのように事業や経営に反映させていますか?
私の強みは「仕事を心から楽しめること」です。仕事を苦痛だと思ったことがなく、もはや趣味のような感覚です。ワークライフバランスという言葉もありますが、私にとって仕事は人生の一部。土日が休みではなく練習で、平日が試合という感覚で働いています。社員にも「月曜が憂うつで金曜が嬉しい」という働き方をしてほしくありません。全力で打ち込めば、仕事は楽しくなるし、努力は必ず成果に変わる。私自身、寝る間を惜しんで働いても辛くなかったのは、仕事に熱中しているから。そんな姿勢を通して本気で働く楽しさを伝えていきたいと思っています。それが私らしい経営スタイルです。

ご自身の経営者としての強みを活かした具体的な取り組みについて伺います
── 「これは自分だからこそできた」と思える取り組みや成果はありますか?特にこだわっている商品やサービス、または社内の文化などがあれば教えてください
私が特に力を入れているのは新卒採用です。業界では珍しく、創業初期から新卒の採用と育成に取り組んできました。全員が寮生活からスタートし、朝から夜まで共に過ごす中で、仕事に対する姿勢や基準値を高めていく。最初の2年間は「人生で最も努力する時期」と位置づけています。中途社員は前職の基準を引きずることがありますが、新卒は真っ白な状態で吸収できる。だからこそ、若いうちに本気の仕事を経験させることが重要です。最初に全力で働くことが、その後のキャリアを支える基礎体力になる。努力を習慣化できる環境をつくることが、私の経営者としての使命だと思っています。

「文化を守りながら、成長し続ける。人とテクノロジーで創る新しい金融の形」

これから先の会社としての成長について伺います
── 会社の規模・成長率について、どのように会社を大きくしていきたいですか
現在、社員は約60名。2年前の倍に増えました。人が増えるスピードが早い分、創業時から大切にしてきた文化をどう継承するかが課題です。古くからのメンバーが当たり前に持っている価値観や情熱を、新しく入った社員にどう伝えていくかを常に意識しています。今後はまず100名規模を目標に、1年で10〜15名ずつ堅実に増員していく計画です。将来的には日本で最も大きな金融機関を目指しています。とはいえ、拡大そのものが目的ではありません。理念を守りながら組織を成長させること、そのバランスを取ることが今の挑戦です。文化を薄めずに成長する──それが最大の壁であり、目標でもあります。

これから先に取り組みたい社会貢献・社会課題解決の取り組みについて伺います
── 事業を通じてこれから先どのように貢献・社会課題に向き合っていきたいとお考えか教えてください
社会貢献は三つの柱を掲げています。まず一つ目は「金融リテラシーの向上」。創業期から全国の小中学校に出張授業を行い、来年からは大学でも授業を担当します。二つ目は「寄付文化の定着」。富裕層とNPOをつなぐフィランソロピーアドバイザー事業を通じて、社会にお金が循環する仕組みを作っています。三つ目は「アスリート支援」。金融教育サービス「アスマネ」でスポーツ選手の資産形成をサポートし、2025年からはプロ野球選手の代理人事業も始めます。どれもお金を正しく使う力を広める活動です。金融を通じて社会課題を解決し、日本をより良くしていくことが、私たちの使命です。

経営の信念と事業の展望について伺います
── 経営者として「経営をする上でこれは絶対に譲れない」と思う信念や価値観はありますか?その信念を事業運営にどう反映させていますか?
私が経営で絶対に譲れないのは、「お客様のために働くこと」と「人として正しいことをすること」です。この二つを失えば会社の存在意義はありません。若い社員には嘘をつかない・仲間を裏切らないという基本を何度も伝えています。時には厳しく叱ることもありますが、それも成長のためです。今後はNECグループの一員として、テクノロジーを活用しながらビジネスを掛け算で拡大していく方針です。人材育成という足し算にテクノロジーというレバレッジをかけ、より多くのお客様に価値を届けたい。正しい経営を貫き、次の成長フェーズへ挑み続けます。

「努力は、才能。若いうちは、全力で自分を磨け。」

このインタビューを読んでいただいた学生さんへのメッセージをお願いします
求めているのは「努力を正しく続けられる人」です。私たちの仕事は専門性が高く、日々のインプットを怠るとすぐに置いていかれます。逆に努力を積み重ねられる人は、必ず成果を出せる環境です。起業を目指す人にも最適で、年齢や社歴に関係なくチャンスがあります。実力主義の会社だからこそ、3年目で役員になっても不思議ではありません。将来経営に携わりたい人、若いうちから挑戦したい人にとって、これ以上ないステージだと思います。最後に伝えたいのは「楽して稼ぐ時代は終わった」ということ。若いうちは全力で働き、努力で自分の価値を高めてほしい。それが人生を変える最短ルートです。