心が動く瞬間をつくりたい── そんな想いが原点です。
どんな幼少期・学生時代を過ごしたか教えてください
── ご家族はどんな方々でしたか?幼少期の想い出を教えてください
私は姉と妹がいる3人兄弟の真ん中として育ちました。親はとにかく子育てに手をかけるタイプではなくて、言い方を変えれば放任主義。小学校低学年のときなんか、放課後遊びに行ったら夜7時半まで帰ってこないようなこともあって、今思えば自分が親だったら絶対に心配になるような状況でした(笑)。それでも「早く帰って来い」と言われた記憶はなくて、それが当たり前でしたね。
ただ一方で、特別に勉強ができたとかスポーツが抜群だったわけでもなくて、自分には突出した才能がないなぁと感じていた時期が長かったです。でも、小学校6年生のときに、地域のソフトボールチームでキャプテンを任されたり、運動会の応援団長をやることになって、そこで両方のチームを優勝に導けたんです。中でも、自分のタイムリーヒットでサヨナラ勝ちを決めた瞬間は今でも鮮明に覚えています。「あ、自分もやればできるんだ」っていう、人生で初めての成功体験になりました。
学生時代について詳しくお聞かせください
── 学生時代はどのように過ごしていましたか?学生時代の想い出を教えてください
実は僕、中卒なんです。高校も一年生の夏には中退していて、16歳からすでに社会に出て働いていました。だから、いわゆる「学生時代」の思い出は中学までに限られますね。
中学の頃は、バンド活動にのめり込んでいました。と言っても、自分から「バンドやりたい!」というよりは、友達に誘われて始めた感じです。でもその結果、地域のお祭りのイベントなんかにも出演して、当時バンドをやってる中学生なんていなかったからファンクラブまでできた(笑)。僕がボーカルを務めていたんですが、「人と違うことをやると、こんなに注目されるんだ」という経験は、今思えば自分の中に強く残っています。
音楽的には尾崎豊の影響をかなり受けてました。あまりにのめり込みすぎて、「この社会ってなんなんだ?」みたいな気持ちになって高校を辞めたぐらいです。今思えば反抗期のど真ん中でしたね。
社長になるまでのきっかけやキャリアについて伺います
── 初めて就職したきっかけや、その職場での経験を教えてください。また、会社を立ち上げることに対して、準備など取り組んだことを教えてください
17歳で営業会社に入って、右も左もわからないまま社会人としての人生がスタートしました。最初の面接も、ビジュアル系バンドの影響で、黒いスーツに赤いネクタイという奇抜な格好で臨んでしまったぐらい(笑)。でも、負けず嫌いな性格もあって、人の何倍も努力して結果を出していきました。
営業成績がトップになり、月収も70〜80万くらい稼げるようになった。そのときは、営業で成功してバンドの資金を稼げたらいいやという軽い気持ちだったのが、いつの間にか営業にのめり込んでいたんです。
ただその後、いくつかの営業会社を経験する中で、「成果主義」の裏にある理不尽さにも直面しました。成績が出なければ人格を否定されるような文化、暴言や暴力すら当たり前というような職場環境。そんな中で、「本当に大切にすべきなのは人じゃないか?」という疑問がどんどん湧いてきて…。
3社目に在籍した太陽光の営業会社で「商材の魅力」に出会えたことが転機でした。「商品は素晴らしいけれど、組織として人を大切にしていない」。そう感じたとき、「理想の会社がないなら、自分で創るしかない」と起業を決意したんです。
人こそが最大の財産。仲間とともに磨き合い、高め合う。
企業名に込めた想い・由来を教えてください
会社を立ち上げる前に、僕は3年間いろんな仕事をしながら、自分の中で「本当に命をかけてやれる仕事って何だろう?」と考え続けていました。最終的に思ったのが、「せっかく人生をかけてやるなら、日本を1mmでも動かせるような会社を創りたい」ということだったんです。
当時、30歳。東京オリンピックが決まった頃で、東日本大震災からの復興期でもありました。でも一方で、海外のシンクタンクが「これからの日本は後退していく」と言っていた時代。そんな誰かがなんとかしてくれるだろうという空気に違和感を感じて、「他人に任せるんじゃなくて、自分たちで日本を変えていこう」と決意しました。
社名の「新日本エネックス」は、そういう想いからつけました。新しい日本をつくる、そのエネルギーの次世代(ネクスト)を担うという意味で、「エネルギー」+「ネクスト」=エネックス。社名そのものに、僕自身の覚悟と理想を込めています。
事業を始めるきっかけについて教えてください
── この事業を手がけることになったきっかけや経緯はどのようなものですか?また、創業当時、特に大切にしていた考えや信念はありますか?
事業を始めた当初から一貫して大切にしているのは、「人を大切にすること」。社員・お客様・取引先、すべての人に誠実であることが、会社を長く続けていく上で絶対に必要だと思っていました。
営業の世界では、「売れればいい」という空気が蔓延していた時代もありました。でも、売って終わりの商売には限界がある。僕が出会った太陽光という商材は、世の中にとっても、環境にとっても意義のあるものでした。だからこそ、それを「売ること」にとどまらず、どんな風に届けるか、誰に届けるか、そして売ったあとの関係まで大切にできる会社でありたいと思ったんです。
あともう一つ。どこの会社に行っても「この会社をずっと続けたい」と心から思える場所がなかった。なら、自分で創るしかないじゃないかと。自分の理想を妥協せずに体現できる場を、自分でゼロからつくるしかない。そう思ったときに、起業の決意が固まりました。
事業に込めた想いについて教えてください
── この事業を通じて、どのような想いを世の中に届けたいと考えていますか?
僕らの事業の根幹にあるのは、「持続可能な社会をつくりたい」という思いです。太陽光発電をはじめとする再生可能エネルギーは、テクノロジーの進化とともに社会に浸透してきました。僕は、この動きを加速させる存在でありたいと思っています。
もちろん、火力発電や原子力も現実的に必要なエネルギー源だと思っています。ただ、バランスを取りながら自然エネルギーを普及させることで、もっと未来にやさしい社会がつくれるはずなんです。
太陽光はゼロから有を生み出すエネルギー。限られた資源を奪い合うのではなく、空にあるものを力に変える。その仕組みを広げていくことが、未来への責任だと思っています。

ひとつの出会いが、世界を少し良くする。そんな存在でありたい。
趣味・特技について伺います
── 趣味や特技に関してのエピソードがあれば教えてください。また、趣味や特技が仕事に活かされているなと感じたことはありますか?
正直、僕にとっての趣味って、全部「仕事」に繋がってるんですよね。仕事のことを考えているときが一番楽しいし、幸せだなって思える。たとえばサウナや旅行も好きなんですけど、そこでリラックスしながらも「この施設のブランディングって面白いな」「この動線って参考になるな」とか、常にビジネス目線で見てしまうんです。
不動産物件を見るのも好きで、買わないのに物件サイトをずっと見ていたりします。「なぜこの物件は高値で売れているのか?」とか「どういう魅せ方をしているのか?」っていうところを分析して楽しんでいます。そういうのも全部、仕事に活かせるんですよね。
僕にとっては、「遊びが仕事で、仕事が遊び」。オンオフの境界線があまりないタイプなんです。
経営者としての「自分らしさ」についてお聞かせください
── ご自身の強みや個性について、どのように捉えていますか?また、その強みを活かして、どのように事業や経営に反映させていますか?
自分の強みは何かと聞かれたら、「情熱」だと即答しますね。たぶん、誰にも負けてない。僕より頭が良かったり、器用な人はいくらでもいると思うけど、命をかけてこの仕事に向き合ってる自信はあります。
あと、挑戦に対する怖さがあまりないんですよ。新しいことをやるのがとにかく好きで、リスクを恐れず飛び込んでいく。もちろん、失敗したらダメだという意識は持っていますけど、でもその怖さに足がすくむことはない。スピード感をもってチャレンジすることで、誰よりも先に壁を超えていく── そんな経営スタイルが、自分のらしさなんだと思っています。
ご自身の経営者としての強みを活かした具体的な取り組みについて伺います
── 「これは自分だからこそできた」と思える取り組みや成果はありますか?
「自分だからできた」なんて、おこがましくてあまり思いたくないんですけど…この業界において、この10年でうちの会社が最も成長した会社だと自負はあります。
僕は「分析オタク」みたいなところがあって、現場で働いていたときから、他社のパンフレットを集めて研究したり、求人を読み込んだり、Webサイトを見て比較したりと、マーケティング的な視点で情報を集めるのが好きだったんです。それが営業成績にも、組織づくりにもつながっていきました。
よく「トップ営業マン=ゴリゴリの体育会系」って思われがちだけど、僕は分析型の営業マンだった。戦略を練るのが楽しかったし、どうすれば売れる仕組みができるのかを考え続けていた。
その積み重ねが、いまの成長につながっているんじゃないかなと思います。
誠実に向き合う人と一緒に働きたい。
これから先の会社としての成長について伺います
── いま、会社を経営するにあたって難しいと感じている課題など「壁」はありますか?また、会社の規模・成長率について、どのように会社を大きくしていきたいですか
今、僕たちがもっとも向き合っている課題は組織づくりです。
どんなに良いビジネスモデルがあっても、それを動かすのは人であり、チームです。
スピード感をもって拡大しながらも、一人ひとりの熱量やチームの一体感を保つのは本当に難しい。
だからこそ今、最も注力しているのが「人材の採用・育成」と、それを土台とした「強い組織」の構築です。
事業自体は、まだまだ伸びしろがあると思っています。
ですが、売上だけを追いかけるのではなく、社員一人ひとりの濃度を保ちながら、しっかりとした成長を積み重ねていくことが僕たちの目指す姿です。
将来的なビジョンとしては、企業規模で言えば「売上1,000億円」を目指しています。
以前は100億円を目標にしていましたが、それはもういずれ必ず到達するものとして捉え直しました。
本気で日本を1mmでも動かすという僕の覚悟を貫くには、それくらいのインパクトが必要だと感じたんです。
組織の理想的な人数にはこだわっていません。
強さと濃さを維持できる限り、仲間をどんどん増やしていきたい。
そんな思いで、これからの成長も一歩一歩積み上げていきたいと思っています。
これから先に取り組みたい社会貢献・社会課題解決の取り組みについて伺います
── 事業を通じてこれから先どのように貢献・社会課題に向き合っていきたいとお考えか教えてください
僕には、どうしても実現したい社会課題への取り組みがいくつかあります。
その一つが「災害に強い社会づくり」です。
日本は自然災害が多い国だからこそ、自治体の避難施設などに太陽光設備を普及させることが、自分たちの使命だと思っています。寄付でも販売でも構わない。とにかく「エネルギーの自立性」を地域に根付かせたいんです。
さらに「日本の自然を守ること」も、強い想いとしてあります。
世界中を旅して感じたのは、日本の自然がいかに美しく、尊い存在かということ。
この自然を次世代に残していくために、僕らができること── 水源地の保全、山や海の保護、環境負荷の少ないエネルギーの活用── そういったテーマにも全力で取り組んでいきたい。
もう一つ、僕がずっと向き合っているのが「子どもたちの貧困と教育の問題」です。
僕自身、子どもが大好きで、人の子も本気で応援したくなる性分です。
今の日本には、まだ生きることすら苦しい子どもたちがいる。
だからこそ、子ども食堂への支援や教育支援、将来的には知財を活かした継続的な取り組みも見据えて、しっかりと行動していきたいと思っています。
社会課題をビジネスと切り離す時代は終わった。
事業の力で、社会に良いインパクトを与えていく。
それが、僕たちが目指す未来に誇れる会社のかたちです。
経営の信念と事業の展望について伺います
── 経営者として「経営をする上でこれは絶対に譲れない」と思う信念や価値観はありますか?また、その信念を事業運営にどう反映させていますか?
「誠実に生きること」── これは、どんなときも僕の中で絶対に譲れない信念です。
経営者として日々いろんな誘惑や葛藤にさらされる中で、それでも僕は誠実な選択をし続けていくと決めています。
起業の際、母から「人の役に立つ会社にしなさい」と言われたんです。銀行の審査で保証人になってもらう際に印鑑をもらいながら、その一言が胸に響いて、今でも自分の行動を律する軸になっています。
正直、「これ、言わなければ誰にもバレないよな」と思う瞬間なんて、山ほどある。でも、そういうときこそ自分に問うんです。「これは誠実か?」って。
社員に対しても、お客様に対しても、社会に対しても── 僕はいつも、誠実でありたいと思っています。
経営って、利益を追い求めるだけじゃない。企業倫理が問われる時代だからこそ、正しい選択を積み重ねていく。それが、結果として会社の未来をつくるんだと信じています。

遠慮はいらない。やりたいこと全部、やってみよう。
このインタビューを読んでいただいた学生さんへのメッセージをお願いします
人生って一回きりだし、やったもん勝ちなんですよ。だから、もっと遠慮せずに、もっと大胆に、自分の人生を生きてほしい。欲張りでいいと思うんです。「あれもやりたい、これも叶えたい」って気持ちが強い人の方が、仕事も人生も楽しめるんじゃないかな。
うちの会社には、20代で年収1,000万円以上を実現した社員もいるし、事業責任者として活躍しているメンバーもたくさんいます。年齢や学歴じゃなくて、「やる気」と「本気」でどこまででも行ける世界が、ここにはあります。
一緒に面白い国を創りましょう。日本って本当に可能性のある国なのに、まだまだ古いままなところが多い。だったら、自分たちで壊して、創ればいい。そんな仲間と出会えることを、心から楽しみにしています。
