業界:コンサルティング・シンクタンク
理事長
青山 公三
取り組む社会課題
地域づくりについて考え、動く
事業内容 調査研究・計画策定支援
社長になる
きっかけ
都市計画コンサルから地域問題研究所に入所して以降は、現場に足を運び、人の声を直接聞くことを大切にしてきました。地域計画は、よく東京の大手コン… 続きを見る
出身地 愛知県名古屋市
出身校 名古屋大学工学部 / ニューヨーク大学 ロバートワグナー公共 サービス大学院
生年月日 12/22
青山 公三イメージ
地域の声を未来につなぐ。小さな気づきが大きな力に
目次

農家の子から理事長へ。現場主義で築いた地域へのまなざし

どんな幼少期・学生時代を過ごしたか教えてください
── 出身地はどちらですか?ご家族はどんな方々でしたか?幼少期の想い出を教えてください
私は名古屋市緑区の鳴海町で育ちました。家は農家で、大家族の中、兄とは19歳も離れていて、母は私が2歳のときに他界しました。
家庭の事情もあり、小学校4年生の頃から夏休みは農作業の手伝いをしていて、朝から晩まで箱詰めの作業をしていたのを覚えています。
遊ぶ時間はほとんどなく、自然と「働くこと」が当たり前の環境で育ちました。でも、その中でも私はのめり込むタイプで、「どうしたらもっと早く、正確に箱を組み立てられるか」など、工夫して取り組むのが好きだったんです。振り返れば、そうした経験が今の仕事への姿勢につながっているのかもしれません。農業は自然が相手で思い通りにはいかないことも多いですが、「手を抜かずコツコツやれば成果が出る」そんな実感を、子どもながらに体で覚えました。

学生時代について詳しくお聞かせください
── 学生時代はどのように過ごしていましたか?学生時代に目標にしていたことはありますか?学生時代の想い出を教えてください
中学時代は、特に部活にも入らず、ある意味“空っぽ”の時間を過ごしていました。でもある日、ふと勉強って面白いなと思ったんです。統一テストで700人中2位を取ったときには、自分でも驚きましたし、「やればできるんだ」と実感しました。特に数学は98点を取って、自分で工夫して取り組むのが楽しかったですね。親に言われたからではなく、自分の意志で上位を目指したいと思えたのは貴重な体験でした。
高校は進学校に進み、運動部で一番厳しいと言われていたテニス部に入りました。実は中学時代、朝礼で倒れるほど体が弱くて、それを変えたいという気持ちもありました。テニスブームもあって、毎日のようにトレーニングとマラソン。国語で1を取ったこともあるくらい部活漬けでしたが、親は一度も口出しせず、やりたいことを尊重してくれたのはありがたかったです。
大学では建築を学びたくて、都市計画や歴史的建造物に関心を持ち、最終的には早稲田大学を受験しました。東京見物や新幹線に乗りたいというちょっとした動機もありましたが、運よく合格。ただ、建築とテニスを両立するのは難しく、結局4年間はほぼテニスに明け暮れました。卒業間際に「このままでいいのか」と感じ、1年自主留年してアルバイトをしながら名古屋大学の先生の元で地域分析の仕事を手伝いました。そこで地域や都市のリアルな課題に触れ、「やっぱりまちづくりをやりたい」と思い直しました。

社長になるまでのきっかけやキャリアについて伺います
── 会社を任されることになった背景や、その時の気持ちを教えてください
都市計画コンサルから地域問題研究所に入所して以降は、現場に足を運び、人の声を直接聞くことを大切にしてきました。地域計画は、よく東京の大手コンサルに委託されがちですが、私は「計画は外部が書くものではない」と感じていました。実際にその土地で暮らしている役場の人たちが、自分たちの言葉でつくるべきだと信じていたんです。
そうして真面目に働く中、20周年のシンポジウムでは家族を招待しましたが、その時に「地域には貢献しているかもしれないけれど、家庭では何もできていない。そんな人がまちづくりを語っても信用できない」と家族から言われたことがあり、深く胸に刺さりました。
その後、私は一度アメリカに渡り、15年の海外生活を経て帰国しました。自分では「逃げた人間」と思っていた時期もありましたが、帰国後、かつての仲間たちから「立ち上げを知っているあなたに理事になってほしい」と声をかけてもらいました。
当時は京都府立大学で教員もしており、役所からの天下りが問題視されていた時代背景もあり、理事長の後任選びが非常に難航していました。自分が適任かは正直わかりませんでしたが、理事長からの熱意ある言葉に心を動かされ、「考えさせてください」と一旦返答しつつも、月に一度の相談会議には継続して出席していました。
そして最終的に、公立大学の教員としての活動と両立できる見通しが立ったこともあり、理事長を引き受けることを決意しました。

住民の声と行政をつなぐ、架け橋になる。

企業名に込めた想い・由来を教えてください
「地域問題研究所」という名前には、私たちの姿勢がそのまま表れています。私たちが向き合っているのは、地域が抱える“リアルな課題”です。地域の人の声を聞き、その土地に即した解決策を一緒に考える。そのために、まずは“問題を研究する”ことが欠かせません。机上の計画ではなく、現場で起きている事象を丁寧に掘り下げる── そんな思いから、このシンプルな名前を大切にしています。

事業を始めるきっかけについて教えてください
── 前任者が掲げていた理念や価値観について、どのように感じましたか?また、継承時に「変えたくないこと」と「新たに取り組みたかったこと」は何ですか?
創業当初から「地域の現場主義」は変えたくない大切な軸です。実際に足を運び、地域の方と直接話すことで、現場の声を計画に反映することを大切にしています。また、合議制の文化や、職員一人ひとりが経営意識を持つという点も大事にしています。
今後取り組みたいのは、女性職員の登用です。これまで制度として整っていなかった産休・育休なども、最近では職員の声をもとに整備し始め、復帰した方も出てきています。今後は女性の理事も登場し、地域づくりに多様な視点が加わることを期待しています。
また、AIやDXの導入にも取り組んでいきたいと考えています。さらに、海外の街づくり事例を共有する「海外まちづくりサロン」も継続していきたいですね。

事業に込めた想いについて教えてください
── この事業を通じて、どのような想いを世の中に届けたいと考えていますか?
私たちがやっているまちづくりは、決して「誰かがやってくれるもの」ではありません。行政、企業、住民、そして私たちのような支援者が、それぞれの立場で“本気”にならなければ、地域は良くならないんです。だから私たちは、ただ提案書をつくるだけではなく、住民一人ひとりの“やる気の火種”を見つけ、それを大きくしていく役割を担っていると思っています。言い換えれば「地域の人の背中を押す仕事」です。時には行政と住民の板挟みにもなりますが、それでもどちらかに偏らず、丁寧に対話を重ねながら橋渡しをする。その姿勢を大切にしてきました。地域の人が「自分ごと」としてまちを考えるようになった瞬間、そこに本当の意味での変化が生まれます。そのきっかけをつくるのが、私たちの使命だと考えています。

人の声を力に変える。地域の背中を押す存在でありたい

趣味・特技について伺います
── 趣味や特技に関してのエピソードがあれば教えてください。また、趣味や特技が仕事に活かされているなと感じたことはありますか?
昔はテニスが趣味で、学生時代からずっと続けていました。ただ、膝を痛めてしまってからはコートに立つことが難しくなり、今は植物を育てるのが趣味になりました。事務所や自宅、大学の研究室など、どこに行っても何かしらの植物を置いています。植物は、ただ水をあげれば育つというものではありません。状態をよく観察し、必要なタイミングで手をかけてあげることで、ようやく元気になります。これって、教育や人材育成にも通じるところがあって、「こうしなさい」と一方的に言っても、人は育たないんです。観察して、相手に合った方法で接することが大事。そういう意味では、植物との付き合い方から、日々学んでいる部分も多いですね。緑があるだけで空間の雰囲気も変わりますし、心も落ち着きます。私にとって植物は、暮らしにも仕事にも欠かせない存在です。

経営者としての「自分らしさ」についてお聞かせください
── ご自身の強みや個性について、どのように捉えていますか?また、その強みを活かして、どのように事業や経営に反映させていますか?
地域問題研究所では、意思決定において「全員で話し合いながら決めていく」ことを大切にしています。完全な合議制ではありませんが、トップダウンではなく、現場の声や職員一人ひとりの意見を尊重しながら進める姿勢が根付いています。私自身は本来、現場でプロジェクトを担当するプレイングマネージャーのような立場を希望していましたが、理事長という立場で動く以上、地域に出向くとどうしても“代表者”として扱われます。その中でも、できるだけ現場感覚を持ち続け、プロジェクトの一部には今も関わっています。ただ、最終的には私一人で決めるのではなく、組織として全員が納得できる形で物事を進めることを重視しています。理事長が担う役割も、皆さんの意見や考えを受け止めながら調整し、組織全体が前に進めるようにすることだと考えています。

ご自身の経営者としての強みを活かした具体的な取り組みについて伺います
── 「これは自分だからこそできた」と思える取り組みや成果はありますか?また、特にこだわっている商品やサービス、または社内の文化などがあれば教えてください
「これは自分だからこそできた」と思えるのは、“合議制”を大切にした意思決定の仕組みを根づかせてきたことです。
トップダウンではなく、職員一人ひとりの声を取り入れながら物事を進める。この文化があるからこそ、現場のリアルを反映した地域づくりが可能になっています。

また、私自身が現場での経験を多く持っているからこそ、組織全体に「現場主義」の感覚を共有できていると思います。職員もただ指示に従うのではなく、自分の意志を持って働く文化が根づいているのは大きな成果です。

現場主義を貫き、多様な視点で地域の可能性を拓く

これから先の会社としての成長について伺います
── いま、会社を経営するにあたって難しいと感じている課題など「壁」はありますか?また、会社の規模・成長率について、どのように会社を大きくしていきたいですか
正直に言うと、今の課題は行政と住民の間にある“ズレ”をどう解消するかです。行政は制度を回すことに注力しがちですが、住民は日々の暮らしに直結する課題を抱えています。その両者をつなぐには、もっと時間と労力が必要です。

会社の規模を急激に大きくすることは考えていません。ただ、職員一人ひとりの力を引き出し、地域に根差した仕事を着実に積み重ねることで、結果として信頼や影響力が広がっていく。それが当研究所の自然な成長のかたちだと考えています。

これから先に取り組みたい社会貢献・社会課題解決の取り組みについて伺います
── 事業を通じてこれから先どのように貢献・社会課題に向き合っていきたいとお考えか教えてください
地域問題研究所での仕事は、役所と住民の“あいだ”に立つこと。まさにそれが、私がやりたかったことでした。というのも、役所の論理と住民の声は、思っている以上にズレているんです。行政は制度や仕組みをいかに回すかに注目しがちですが、住民は日々の生活で困っていることや、未来への漠然とした不安を抱えています。その間をつなぐ存在が必要だと、東京での経験を通じて強く思いました。地域の方とワークショップで話し合いを重ね、想いを言語化し、行政に届ける。そうやって一緒に“納得解”をつくっていく。机上の計画ではなく、現場のリアルから生まれたプランこそ、本当に役立つものだと信じています。現場主義を徹底するこの仕事に、私は誇りを持っています。

経営の信念と事業の展望について伺います
── 経営者として「経営をする上でこれは絶対に譲れない」と思う信念や価値観はありますか?その信念を事業運営にどう反映させていますか?また、事業の展望について、これから先の事業をどのように拡大・運営していきたいか教えてください
私が経営で絶対に譲れない信念は、「現場主義」と「対話を重ねる姿勢」です。計画や提案は、机の上で完結するものではありません。実際に地域の方と話し、想いを言語化し、行政につなげていく。時間はかかりますが、そこにこそ本当の価値があると思っています。

その信念は、事業運営にも反映されています。たとえば、プロジェクトを進める際には必ずワークショップや現場ヒアリングを行い、地域の声を反映させています。

今後の展望としては、AIやDXの導入による効率化と、女性や若い世代の登用に力を入れていきたいと考えています。多様な視点を取り入れることで、これまで以上に地域の可能性を引き出すことができると信じています。

小さな発見が、あなたの仕事をもっと面白くする。

このインタビューを読んでいただいた学生さんへのメッセージをお願いします
私が若い世代にぜひ伝えたいのは、「いろんなことに好奇心を持ってほしい」ということです。もちろん専門性を持つことは大切ですが、地域の仕事は福祉や農業、IT、都市計画など多岐にわたります。そのため幅広い視野や柔軟な発想が欠かせません。多様な分野に関心を持つことで、それぞれの点が線としてつながり、新しい価値を生み出すことができます。
そして何より、仕事は“楽しんでこそ”良い成果が出ると私は思っています。どんな作業でも、意味を見つけて楽しむ姿勢があれば、そこに学びや喜びが必ずあります。たとえば、お茶くみ一つをとっても、相手の反応を観察することで新しい発見や面白さがある。単純作業にも「なぜこうなるのか」と興味を持って向き合えば、日常の仕事がぐっと楽しくなります。
私が一緒に働きたいのは、そうした小さな気づきを大切にし、好奇心を持ちながら仕事に取り組める人です。下らなさそうに見えることでも、そこに面白さを見いだし、「こんな発見があった」と楽しめる人。そんな姿勢が、結果として地域をより良くする力につながると信じています。