サッカー一筋の青春と挫折の日々── ベンチから這い上がったプロサッカー選手の不屈の物語
どんな幼少期・学生時代を過ごしたか教えてください
── 出身地はどちらですか?ご家族はどんな方々でしたか?幼少期の想い出を教えてください
愛知県名古屋市で生まれ育ちました。両親は家業である今の会社を経営していたので、ほとんど家にいない環境でしたね。だから僕は朝から晩までサッカー漬けの毎日。勉強もテスト前しかせず、公園で一人でボールを蹴っていることも多かったです。小学生の頃から遠くのクラブチームに毎日電車で通っていました。
印象に残っているのは、会社の慰安旅行で下呂温泉に連れて行ってもらったことです。先代のおじいちゃんやおばあちゃんもいて、小さいながらに記憶に残っています。普段は父親抜きの旅行が多かったんですが、慰安旅行には父がいたから、余計に記憶に残っているんだと思います。それくらい、父はいつも仕事で家にいませんでした。
学生時代について詳しくお聞かせください
── 学生時代はどのように過ごしていましたか?学生時代の想い出を教えてください
高校はサッカーの強豪校に進学し、寮生活を始めました。そこで初めて親のありがたみを知りましたね。洗濯、掃除、ご飯…いろいろやってくれていたんだなと。毎日朝5時に起きて山を越えて30分自転車をこぎ、朝練をして授業を受けて、放課後は夜10時11時まで練習。寝るのは12時。この生活を3年間続けました。練習メニューも本当にハードで、高校時代は辛い記憶しかないですね。
特に印象に残っているのは、インターハイで決勝に負けた後の合宿です。静岡の中田島砂丘で5泊6日、1日5部練習の走り込みだけという地獄のような合宿でした。全国大会ではベスト8まで進んだんですが、僕自身は一度も試合に出られず、ずっとベンチでした。レギュラーにはなれなかったんです。
大学は、サッカー部ができたばかりの大学に進学しました。プロサッカー選手を目指していましたが、大学時代も四年生までレギュラーではなくベンチ組。四年生になって初めてスタメンを取って、本当にたまたまプロになれたという感じです。サッカーに関しては、良い思い出よりも挫折の記憶の方が多いですね。
社長になるまでのきっかけやキャリアについて伺います
── 会社を任されることになった背景や、その時の気持ちを教えてください
大学3年で就職活動を始めて、不動産会社のプレサンスコーポレーションとサッカースクール事業の会社から内定をもらいました。稼げるしチャレンジしたいという思いで、プレサンスに決めていたんです。でも大学4年の秋、たまたま呼ばれたプロの練習試合でパフォーマンスが良くて、監督に目をつけられてオファーをもらいました。
プロに挑戦したいという思いが捨てきれず、内定を断ってツェーゲン金沢に入団しました。Jリーグで6年間プロサッカー選手として活動しましたが、プロになってからも苦労の連続でした。練習の紅白戦にすら入れないこともあって、サッカーでお金をもらっているのに全くサッカーができない時期もありました。試合に出るのが怖いと思うこともあった。でも絶対に逃げませんでした。自分と向き合い続けました。
2018年に戦力外通告を受けて、父親の紹介で中部水産という会社に入社しました。そこで2年間、社会人としての基礎を学んでから、2020年に魚彦グループに一般社員として入社。新人社員として下積みをして、3年目に常務取締役に就任し、2024年7月に代表取締役に就任しました。
実はサッカー選手になった時から、30歳までやって、それ以降は実家の家業を継ぐと決めていたんです。今、私が三代目で、創業57年目になります。
家族を守る覚悟が理念に── 三代目が受け継ぐ「魚彦」の名前と、仲間の未来への責任
企業名に込めた想い・由来を教えてください
「魚彦」という社名は、祖父の名前「彦三郎」から取ったものです。魚屋の彦三郎で「魚彦」。創業者である祖父の名前を残したいという強い思いがあります。代表に就任する前、私が知らない会社の過去もたくさんあったので、先代の奥さんである祖母や親戚を訪ね歩いて、いろいろなエピソードを聞きました。
そこで改めて、魚彦という名前を残すこと、この会社を繁栄させていくことが自分の使命なんだと強く感じたんです。それまではサッカー選手になることが自分のすべてだと思っていましたが、引退して家業に戻ってみて気づきました。魚彦を残し、大きくすることこそが、自分の本当の使命なんだと。
事業を始めるきっかけについて教えてください
── 前任者が掲げていた理念や価値観について、どのように感じましたか?継承時に「変えたくないこと」と「新たに取り組みたかったこと」は何ですか?
代表になった時に「原点回帰、未来進化」という方針を打ち出しました。変えたくないことは、先代が大切にしてきた商売のやり方です。人を大事にする経営、人を大事にする商売。目先の利益よりも、目の前の人を大切にするという姿勢。お客様ファースト、従業員ファースト。ここは絶対に変えてはいけないところです。
一方で、新たに取り組んだのは給与体系と働き方の改革です。私が入るまで、ほぼ給料が変わらない会社だったんです。年功序列で、ボーナスも少なかった。それを徐々に変えていって、今は新卒3年目でも年収600万円を超えています。前年度の冬のボーナスでは、2〜3年目の社員に100万円出しました。退職金制度も整えて、福利厚生も充実させました。
水産業界の中では、かなり良い待遇になってきたと思います。そして何より、ほぼ全員がこの水準で働けています。年功序列をやめて、頑張った人がしっかり報われる会社にしたかったんです。
事業に込めた想いについて教えてください
── この事業を通じて、どのような想いを世の中に届けたいと考えていますか?
食べ物は必ず必要なもので、特に日本人にとって魚は特有の文化だと思っています。ところが今、海外で日本食がブームになって、中国やヨーロッパ、アメリカが日本の魚をどんどん買っていってしまっている。日本国内に魚がなくなっている、高くなっているというのは、実はそういう理由なんです。これがすごく悔しい。
魚は日本人のものだし、健康にも良い。この魚食文化を守っていかなければならないと思っています。ただ、業界の課題は若い人材が圧倒的に少ないこと。周りを見渡すと平均年齢50歳、60歳の会社ばかりです。うちの平均年齢は25歳。この業界を変えられるのは、多分うちしかいないんじゃないかと思っています。業界を変えるという強い思いでやっています。

誰にも負けない負けず嫌いと読書で培った知恵── 絶対に逃げない姿勢で過去最高益を実現
趣味・特技について伺います
── 趣味や特技に関してのエピソードがあれば教えてください。また、趣味や特技が仕事に活かされているなと感じたことはありますか?
趣味は読書と映画鑑賞、旅行ですね。特技はボーリングです。サッカーは…この前フットサルをやったら全く体が動かなくて(笑)。もう得意とは言えないですね。
読書には本当に救われました。学生時代、特に大学生の時は遊んでばかりで怠けてしまっていたんです。でもある時、1冊の経営者の本を読んで人生が変わりました。孫正義さんの『プロフェッショナルの流儀』です。当時19歳だった僕が読んだ時、同じ19歳の孫さんのエピソードが次元違いすぎて、自分の惨めさを痛感したんです。
魂が震えるような感覚がありました。「今のままじゃダメだ、変わらなくちゃ」と。それから気持ちが切り替わって、今も迷った時や悩んだ時は本を読みます。だいたいのことは、経営者の先輩たちが通ってきた道なので、本にヒントが書いてあるんですよね。仕事にも本当に活かされています。
経営者としての「自分らしさ」についてお聞かせください
── ご自身の強みや個性について、どのように捉えていますか?その強みを活かして、どのように事業や経営に反映させていますか?
僕の強みは、めちゃくちゃ負けず嫌いで、絶対に諦めないことです。「負けず嫌い」と言う人は多いと思いますが、僕はそれに関しては誰にも負けない自負があります。中学、高校、大学、プロになってからも、ずっと泥水をすすってきました。プロでも全然活躍できなかったし、練習の紅白戦にすら入れないこともあった。サッカーでお金をもらっているのに、サッカーができない時期があったんです。
それでも絶対に逃げませんでした。自分と向き合い続けて、どうやったらもっと良くなるのかを考え続けました。この姿勢は経営にも活きています。就任する前から会社の経営状態がすごく悪くて、入社してからずっと赤字でした。「やばいぞ」と思いましたよ。
さらに入社3ヶ月目で、身内のトラブルで当時の社長が会社に来なくなったんです。何も分からない息子が代表の代わりをやらされて、ベテラン社員からは「お前に何が分かる」と言われました。正直、僕以外の人だったら継ぐのを断念していたと思います。
就任1期目は過去最高の赤字を出しました。でも2期目には過去最高の売上と営業利益を達成できたんです。どんな時でも逃げなかった。その自負があります。
ご自身の経営者としての強みを活かした具体的な取り組みについて伺います
── 特にこだわっている商品やサービス、または社内の文化などがあれば教えてください
こだわっているのは、とにかく人を大事にすることです。僕らはBtoBなので、お客様はスーパーのバイヤーさんや飲食店のオーナーさんです。その人たちはどこから魚を買ってもいいんですよ。結局、選ぶのは人だと思っているんです。
だから「人で選ばれる商売をしろ」と社員には伝えています。魚が安いです、高いですじゃない。「あなただから任せる」「あなたから買う」と言われる商売をしろと。自分が代表になってから、より一層この考え方を大切にしています。人を大事にして、人で選ばれる会社にする。これが僕らのこだわりです。
日本一かっこいい魚屋を目指し業界を変革── 魚食文化を守り、若者が憧れる職業にする
これから先の会社としての成長について伺います
── いま、会社を経営するにあたって難しいと感じている課題など「壁」はありますか?また、会社の規模・成長率について、どのように会社を大きくしていきたいですか
やっぱり「人」ですね。採用と育成が一番の課題だと思っています。今は大丈夫ですが、いずれまた壁が来ると思っています。特に重要なのは「誰を選ぶか」。ここが経営において一番大切なポイントじゃないかと考えています。目指しているのは「日本一の魚屋」です。売上、認知、かっこよさ、すべてで日本一。数字で言えば年商200億円。今、日本一の仲卸会社が年商190億円くらいなので、200億円を達成すれば日本一になれます。
そして日本一かっこいい魚屋になって、魚屋になりたい子どもたちを増やしていきたい。それが業界を変えるというビジョンにつながると思っています。今は北陸や大阪にも展開していますが、実は名古屋市場だけでも日本一を目指せるんです。それくらい名古屋は仲卸業界で大きなマーケットなんですよ。
さらに多角化経営も進めています。今はBtoBの仲卸だけですが、飲食店経営や小売店舗の展開も計画しています。創業57年の歴史がありながら、ベンチャーのような挑戦を続けていきたいと思っています。
これから先に取り組みたい社会貢献・社会課題解決の取り組みについて伺います
── 事業を通じてこれから先どのように貢献・社会課題に向き合っていきたいとお考えか教えてください
日本の魚食文化を次世代に継承していくこと、これが私たちの最大の社会貢献だと考えています。今、海外が日本の魚を買い占めている状況で、日本人が魚を食べられなくなりつつある。これは本当に深刻な問題です。魚は日本人の健康を支えてきた大切な食文化であり、これを守ることは私たちの使命です。そしてもう一つ、水産業界の人材不足という社会課題に正面から向き合っていきます。業界全体が高齢化していて、若い人が入ってこない。このままでは日本の水産業が衰退してしまいます。だからこそ、私たちが日本一かっこいい魚屋になることで、「魚屋って面白そう」「水産業界で働きたい」と思う若者を増やしたい。業界全体を変革することが、結果的に日本の食文化を守ることにつながると信じています。
経営の信念と事業の展望について伺います
── 経営者として「経営をする上でこれは絶対に譲れない」と思う信念や価値観はありますか?その信念を事業運営にどう反映させていますか?
「人生をかけて集まってくれた仲間と、その家族の未来にまで責任を持つ」── これが私の絶対に譲れない信念です。18歳の時、父の経営不振で母が心を病んでしまった経験から生まれた理念です。会社が傾くと、本人だけでなく家族にまで影響が及んでしまう。だから私は、社員とその家族も含めて、すべての未来に責任を持つ覚悟で経営しています。そして「人を大事にする」という先代から受け継いだ価値観。目先の利益よりも目の前の人を大切にする。お客様ファースト、従業員ファースト。この姿勢は絶対に変えません。人で選ばれる会社であり続けること、これが私たちの経営の根幹です。

素直でいい人を幹部候補として迎える── 新卒3年で年収600万円超、子会社社長も夢じゃない
このインタビューを読んでいただいた学生さんへのメッセージをお願いします
活躍しているのは、素直でいい人ですね。新卒社員は全員活躍しています。3年前から新卒採用を始めたんですが、1期生は半年で主任になって、今は3年目で係長をやっています。2年目、1年目の子もみんな役職を持っていて、自走・自立して活躍しています。
共通しているのは、素直でお客様への対応も良く、行動指針がしっかりできていることです。気持ちの良い挨拶、即行動・即チャレンジ、自責思考、整理整頓清掃清潔躾の5S。こういったことがちゃんとできている人たちです。性格がいい子しかいないですね。
